開催記録草稿(未定稿、禁引用)
「「日本中世思想史研究に明日はあるか」を終えて

司会 鈴木 英之(思想史)

本シンポジウムでは、シンポを企画した思想史の森新之介氏に加えて、日本史の大塚紀弘氏、日本文学の野上潤一氏から、日本中世思想史研究に対する御意見・御批判を頂き、思想史の舩田淳一氏にコメントをもらった。大塚氏は、顕密体制論とコスモロジー論を取り上げ、それら理念と実態との間にズレが起こる可能性を論じて理念に安住することの危険性を指摘し、さらには思想学と思想史学の相違について提言を行った。野上氏は中世後期の学問を実証的に解明することの必要性を主張し、実証性が不足している昨今の思想史研究を批判された。大塚氏のいう理念偏重の傾向がどれほど存在するのか、また野上氏の中世前期の仮託文献を実証不可能とする見解には疑問もあるが、専門を異にする両氏の指摘は、思想史をめぐる問題点を明確に示しており、大いに反省を促された。

なお「中世」の時代区分については、フロアから明確化すべきとの意見を頂いたが、シンポ中にまとめることは困難なため、厳密に定義することはしなかった。また今回タイトルに掲げた「明日」についても、統一した見解・結論を示すことはしなかった。筆者は総括を依頼されたが、各報告に対する詳細なコメントは舩田氏がされているので、ここでは、シンポの所感を報告やフロアからの御意見を交えて簡単に述べたい。

本シンポジウムが行われた2018年秋、奇しくも日本思想史学会(大会)における中世分野の研究発表がゼロになった。SNS等でそれを知った文学・史学の研究者の中には意外な印象を受けた人もいたようだ。たしかに中世の宗教や思想に関連する学術シンポジウムがたびたび開催され、論集も複数刊行されており、思想史においても盛んに行われている印象を受ける。だがその殆どは、中世の面白さにいち早く反応した文学や歴史の研究者を中心とした脱領域的なものであり、日本思想史という分野に限れば、この流れに関わる者は少なく、研究者人口も減少している。

現在、日本思想史に関する最大の全国学会が日本思想史学会であり、思想史を専門とする者は、おおむねここに所属することになる。しかし、日本思想史学会においては、かつて中世の花形であった法然・親鸞といった鎌倉仏教祖師たちについての議論などは殆ど行われていない。ましてや筆者が専門とするような中世神道書・偽書などの仮託文献に見える、述作者が判然としない思想はほぼ無視されている。現在の思想史学会の中心はあくまで近世・近代にあり、中世は極めて低調な状況にある。

フロアからも指摘があったように、こうした中世をとりまく学会状況は、いま一線で活動する思想史研究者が若手の頃から続いているという。日本中世を専門とする思想研究者たちは、自らの研究成果への反応の乏しさに対する失望から、自然と日本思想史学会の外、脱領域的な場(舩田氏のいう「広義」の日本思想史)に軸足を置く場合が多くなっている。

個人的には、研究が進展するならば、特定の学会に拘る必要はないと思う。また批判するくらいなら、自ら研究会を立ち上げ、シンポジウムなどを行えばよいとも思っている。だが森氏が「たかが思想史学会、されど思想史学会」と述べるように、これから研究を始めようという若手に間口を広げ、研究者人口の減少に歯止めをかけるためにも「日本思想史」という名を冠する学会の存在は欠かすことはできない。学会から距離を置いてしまった中世思想史研究者のあり方も考え直さねばならない。明日は依然として見えないが、結局は、不断に学問的探求を行い、中世の魅力を内外に発信する努力をつづけ、少しでも明日へとつなげるしかないのだろう。

 

最後になりましたが、報告者・コメンテーターならびに、シンポジウムに参加し、貴重なご意見をくださったフロアの皆様に心より感謝申し上げます。

草稿