開催記録草稿(未定稿、禁引用)
報告2「思想史研究とコスモロジー論

大塚 紀弘(日本史)

思想は今も昔も複雑かつ多様なため、ある時期の思想像(思想の歴史像)を描くのは困難である。視座、視角の相違によって、複数の思想像が並存して何ら問題はない。「大方の研究者が共有できるような「中世思想」というイメージ」を構築するため、「浸透(流通)範囲」の広かった「時代精神(思潮)」に注目するという方向があり得る。日本中世の思想史では、顕密体制論、コスモロジー論(佐藤弘夫氏)がそれに当たると思われるが、いずれも根本的な問題点を抱えているように思える。顕密体制論、コスモロジー論の特徴を整理し、それぞれの問題点を指摘した上で、目指すべき方向を提案する。

顕密体制(中世宗教と国家の癒着関係)の根幹とされる「顕密主義」の定義が、顕教と密教の関係に基づく論理から、顕密仏教(旧仏教)が共有する思想的特徴へと拡大解釈的に変化している。顕密体制論の前提には、権門体制論―荘園制に基づく分権的な領主が、天皇によって〈統合〉された国家とその民衆支配による社会の〈統合〉―がある。「顕密主義」は、体制思想(権門体制思想、荘園制思想)の神仏宗教的な要素を指すに過ぎない。

体制思想には民衆的な基盤が不可欠とされるが、それを顕密仏教が促進したと言えるのか。顕密仏教の思想が体制思想の全てではなく、しかもその根幹であったとも限らない。法然、日蓮らの異端派(急進改革派)の思想について、顕密仏教や国家と共有できなかった部分(往生論)を取り出して高く評価するが、両者の共通点には目が向けられない。体制思想の神仏宗教的要素によって、民衆支配を試みたことは確かだが、民衆がそれを全面的に受け入れていたとは考え難い。そもそも荘園制=権門体制による民衆支配の根幹に、宗教的な思想(イデオロギー)があったかどうか疑問である。統治を委ねる権力に対する年貢の納入は、今に至る「納税の義務」と大差ないのではないか。法然、日蓮らの思想の異端性、革新性(体制思想との乖離)に喝采することを目的に、体制思想(理念)の一部を抽出して実態視し、過大評価しているように見える。

起請文から、「神仏」の序列を読み取るが、定型的な文言のみを根拠として、当時の人々がそのように認識していたと実態視して良いのか。仏像と神(神像)を「この世の神仏」として一括し、「あの世の仏」の「垂迹」とする視点は明快だが、その他の神仏(「垂迹」とはみなされない「神仏」)が無視されている。二重構造による理解は、浄土信仰の浸透に対応し、現世(此岸)の「神仏」(寺社)と浄土(彼岸)の「仏」を峻別しているに過ぎない。「コスモロジー」(実態)をうたいながら、実際には浄土思想に基づく理念(往生論)のみを抽出している。「この世の神仏」への帰依を通じてのみ往生が可能であるとする認識、「この世の神仏」の存在する場所を「この世の浄土」とする認識は、どの程度浸透していたのか。寺社参詣を促す側の主張のみを根拠として、「この世の神仏」全般、さらには当時の人々の認識であったと拡大解釈して良いのか。顕密仏教の理念に過ぎないのではないか。

法然、日蓮は「この世の神仏」を介在させず、「あの世の仏」を直接信仰する救済論を提示したとして高く評価するが、その礼拝対象について説明できていない。神社、仏像と同じく礼拝対象であった仏画について、明確な位置づけがなされていない。仏画(メディア)を通じて「あの世の仏」を信仰するのは一般的だったのでないか。

仏画の一種として、種子、名号(親鸞)、題目(日蓮)を描いた文字図が本尊として礼拝されていた。実在感に富む仏像(生身仏・霊験仏)に対して、実在感に乏しい文字図をメディアとして、浄土の仏に直接願いを伝える方向性が生まれたのではないか。往生論に焦点を絞り、法然、日蓮の理念を顕密仏教の一部の理念と対置して浮かび上がる対照性のみを基に構築された議論であり、共通点を含めた実態は度外視されている。法然、日蓮の思想の異端性、革新性に喝采することを目的に、一部の理念(往生論)を取り出して実態視し、戦略的に虚構の「コスモロジー」を提示しているように見える。

中世の体制思想としては、非神仏宗教的な分野(儒教的倫理などの社会規範)の影響力が大きかったのではないか。礼的思想の受容と変容〔桃崎 二〇一八年〕は、儀礼、礼楽思想(音楽、詩歌)や法との関わりのみならず、社会規範(礼儀作法)としての受容という視点から追究すべき。寺社の宗教的な「儀礼」と礼的秩序に基づく儀礼の共通性や影響関係にも注目すべき。統治理念としての徳政思想、撫民思想の展開も重要。

社会を「統合」したとされる体制思想に安住せず、社会集団の思想(結合、行動の規範)に目を向ける必要がある。〈上から目線〉の国家史に縛られるのではなく、社会史(社会集団の歴史)の視点を加えることが重要である。また、特に仏教、神祇信仰、陰陽道、儒教(倫理)など、複数の宗教が重なり合う領域の思想(規範)にも着目すべき。

天皇制国家は、儒教的な天人相関思想、徳治思想に基づく責任追及を回避するため、神祇官・陰陽道の卜占(災害・怪異←神・怨霊の祟り←穢れなど)を活用し、祭祀(神祇信仰、陰陽道)や祈禱(仏教)で対応した〔山下 二〇一〇年〕〔片岡 二〇一三年〕。〈清浄〉あるいは〈清浄化〉の思想は、本地垂迹説の前提として、神祇信仰と仏教をつなぐ重要な要素だったのでは。〈清浄〉の神・仏と祭祀者・祭祀具の〈清浄化〉が対応。戒律(持戒による〈清浄化〉)、別時念仏(往生のための〈清浄化〉)とも密接な関係にあり、神仏習合、神仏共存を成り立たせる論理として追究すべき。神前読経(「浄行」)、如法経の埋納(経塚)による聖地(神社)の仏教化にも、この論理が付随している。

戦国時代に広まった「天道」の観念(規範)は、神仏信仰をも包摂したとされる〔神田 二〇一六年〕。天人相間思想を背景としており、仏教の往生論ではなく、儒教的な世俗的道徳論に基づく「コスモロジー」とも位置づけられる。儒教的な「孝」の思想(倫理)は、仏教の出家思想と相容れないため、家の継承のため出家を思いとどまる者がいたはずである。「不孝」は、仏教的な「恩」「孝」の思想によって解消される余地があるが、両者のはざまの葛藤も想定される。一方、寺院での教育によって、儒教的倫理が仏教思想と合わせて広まったことも想定される。

史料に残された記述は理念(スローガン)や規範に過ぎないことが多く、実態とのズレに注意しないと、虚構の歴史像を描くことになってしまう。ただし、実態は複雑であるため、理念や規範によってしか明確に整理できないとも言い得る。とはいえ、理念や規範が実態を規定する部分も大きく、両者を視野に入れて総合的に考察する必要がある。例えば、「顕密」八宗共存の理念と「禅教律」十宗共存の理念による顕密仏教、禅律仏教の併存。顕密体制は、顕教の「四箇大寺」と密教の「三門真言」を基盤とする顕密仏教と国家の協調関係と明確に再定義して初めて考察の対象にできる。

過去の対象を〈人〉〈物〉〈知〉の三者に分けるとすると、〈人〉〈物〉や両者が織り成す〈場〉(空間)と比べて、目に見えない〈知〉(思想)は、理念、規範として存在したことは確かであっても、実態を追究しにくく、歴史像を描く素材として扱いづらい。国家主導による社会の〈統合〉を根幹とする国家史から距離を取るならば、〈人〉や〈物〉を中心とし、〈知〉はそれに付随した対象とせざるを得ない。密教説や神道説のような非常に限定された範囲で継承された思想は、社会思想史の視野からも外れてしまう。これも、〈人〉〈物〉との関係から実態を追究するしかない。「思想史」の研究者は、思想史学(歴史学)/思想学(哲学、宗教学、仏教学)の根本的な相違を意識すべきである。理念に安住する者に「思想史」を名乗る資格なし。

参考文献

草稿