開催記録草稿(未定稿、禁引用)
報告1「今日の日本中世思想史研究」

森 新之介(思想史)

問題の所在

人文学界において研究者人口が減少しつつあることは、今や言うまでもないであろう。そのような傾向を生じさせている原因としては、そもそも日本の人口が減少傾向にあるという少子化と、研究職は削減されているが大学院生は増加しているという就職難がまず挙げられる。またそれらとともに、景気回復によって非研究職への就職状況が改善されたため、学部卒業生が修士課程に在学しながら非研究職への就職活動をしようとか、同じく就職難であれば研究職を目指そうとかするよりも、景気が再び悪化する前に非研究職に就こうとする、ということも原因として挙げられる。

日本中世思想史学界*1においても、やはり研究者人口は減少傾向にある。ただし、同学界における研究者人口の減少は他学界より深刻で、また特有の原因もあると考えられる。

筆者は2015年、日本思想史学会の大会シンポジウム「思想史学の問い方――二つの日本思想史講座をふまえて――」にコメンテーターとして登壇し、研究者人口の減少などについて問題提起した。このコメントと、翌年刊行の会誌『日本思想史学』第四八号に掲載されたコメント記録「両講座における中世思想史研究の課題」は、幾らかの反響を呼んだ。ただし、当時は報告者でなくコメンテーターであったということもあり、意を尽くし得なかった。

そこで本報告では、同学界の危険な現状を整理紹介することで、三年前に尽くし得なかった微意を補うとともに、明日についての提言とした。

第一項 日本思想史学会の内と外

ある学界の状況を論じようとする時、その研究者の経験や感覚だけに依拠すると、他者から賛同を得難くなったり水掛け論に発展し易くなったりする。そのため本項では、日本思想史学会という学会に着目して、日本中世思想史学界の現状を分析する。

なお、他学界の研究者にはあまり認知されていないようだが、日本思想史学会は日本思想史学界における唯一の全国学会である。歴史学界や国文学界は学界規模が大きいため、複数の全国学会が存在しており、例えば中世文学に限っても、仏教文学会と説話文学会、中世文学会、和歌文学会などがある。そのため、中世文学の研究者はこれら複数の学会に加入することが通例となっており、また複数の学会がシンポジウムなどを共同開催することも少なくない。しかし日本思想史学界は規模が小さいため、日本思想史学会が唯一の全国学会となっている。

同学会の会誌『日本思想史学』では、中世の論文が明らかに減ってきている。2006年に刊行された第三八号の「編集後記」では、古代と中世の投稿論文について「減少傾向に歯止めがかからない」と警鐘が鳴らされており、その傾向は以後も変わっていない。この2006年から2018年までを対象に、『日本思想史学』における中世論文と日本思想史学会大会における中世個別発表を一覧にすれば、次の如くである。

  『日本思想史学』の
中世論文
日本思想史学会大会の
中世個別発表
2006 1/2 2
2007 0/4 2
2008 1/1 5
2009 3/? 4
2010 0/1 1
2011 1/? 1
2012 1/? 5
2013 0/1 3
2014 3/3 3
2015 2/3 4
2016 0/4 3
2017 0/1 6
2018 0/? 0
 
※論文の分子は掲載本数、分母は投稿本数。「?」は不記載。古代から中世に跨るものも算入した。

投稿論文があったものの査読を通過しなかったため掲載論文がない、ということであれば大きな問題でない。勝敗は兵家の常である。深刻なのは、2018年度大会で中世の個別発表がなかったということである。また、2018年刊行の会誌第五〇号では、中世の掲載論文がなかったという以前に、投稿論文がなかったということも有り得る。

このように、日本思想史学会における中世研究の衰退は明らかである。そしてこの原因は、規模の小さな日本思想史学界で研究者人口が減っているというだけでなく、他学界のからの新規加入者が少ないということも影響している。

この日本思想史学会は、年一回九月に会誌を刊行し、年一回十月に大会を開催する。そのため中世に限らず、思想史研究者が同学会だけで研究活動していくことは不可能である。必ず歴史学や国文学、東洋哲学など他分野の学会でも活動する必要あり、思想史研究者の他分野学会への進出は非常に多い。しかし、他分野の研究者、殊に中世の研究者が日本思想史学会に加入することは少ないと言ってよい。

そもそも研究者がある学会に加入する理由は、その大会で研究発表すれば近隣分野の多くの研究者が聴くと期待できるとか、その会誌に論文が掲載されれば近隣分野の多くの研究者が読むと期待できるとかいうことであろう。だが、日本思想史学会の会誌は中世思想史研究者の読者がさほど期待できず、大会に参加する中世思想史研究者に至っては毎年数人ほどであろう。すなわち多くの日本中世思想史研究者にとって、日本思想史学会は加入して毎年会費を納入するに足る学会でない*2

大会の聴衆や会誌の読者に中世思想史研究者が少ないため、中世思想史研究者が殆んど加入せず、中世思想史研究者が殆んど加入しなしため、大会の聴衆や会誌の読者に中世思想史研究者が少ない。これが日本思想史学会の有する悪循環だと考えられる。

このように殆んど閉塞した日本思想史学会の外では、大きく異なる質と量の中世研究が展開している。一例として、2016年に竹林舎から刊行された福島金治編『学芸と文芸』(『生活と文化の歴史学』九)の目次は次の如くである。

福島金治編『学芸と文芸』

これら廿本の論文は、すべて日本中世思想史についてのものと見てよいであろう。しかし筆者が日本思想史学会の会員名簿などにより照合したところ、編者福島と同書への寄稿者廿人の凡そ廿一人において、同学会の会員は当シンポの司会でもある鈴木英之だけだったようである。同書の陣容は公募でなく人脈によるものであるため、当然ながらこれを学界の縮図と見ることは慎むべきであるが、日本思想史学会の内外における研究状況の格差を如実に物語っていよう。

では、このような研究状況の格差は何が問題か。前述したように、日本思想史学会に加入している日本中世思想史研究者が少数であれば、同学会で中世研究が停滞しても問題はない、という理解も有り得よう。

しかし、日本思想史学会の影響力や存在意義は侮り難い。その会員が中心となって近年編集された講座や事典としては、苅部直・黒住真・佐藤弘夫・末木文美士・田尻祐一郎編集委員『日本思想史講座』五巻(ぺりかん社、2012~15)や苅部・黒住・佐藤・末木編集委員『岩波講座日本の思想』八巻(岩波書店、2013~14)、そして日本思想史事典編集委員会編『日本思想史事典』(丸善出版、印刷中)などが挙げられる。これらが学界内外、殊に一般読者や初学者に波及し得ることは言うまでもない*3

また日本思想史学会とその会員には、日本思想史の通史を叙述することへの使命感が見出される。古代から現代までにせよ中世だけにせよ、良質な通史叙述には複数の研究者が協同する必要があるため、そのような一大事業は同学会とその会員たちにのみ可能なことかも知れない。日本思想史学会の外部での日本中世思想史研究には優れた個別研究も多いが、通史叙述に結実するとは考え難い。

今日、日本中世思想史学界において日本思想史学会の存在意義は低下しているが、消滅しておらず、また低下していてよいということもない。たかが日本思想史学会、されど日本思想史学会である。

第二項 認知の歪みと言路不通

前項で紹介したように、2006年にはすでに日本思想史学会の会誌『日本思想史学』の編集後記で、古代と中世の投稿論文について「減少傾向に歯止めがかからない」と警鐘が鳴らされていた。この年は筆者が大学院に進学し、日本思想史研究に着手した年でもあったため、少なくとも筆者にとって、日本中世思想史学界が危険な状況にあることは余りに自明のことであった。

しかし、このような危険な現状は日本思想史学会で必ずしも正しく認識されていない。筆者は2015年の同学会大会シンポジウムで

中世〔思想史…引用者註〕研究などは現在、極めて危険な状況にあると考えられるが、両講座〔ぺりかん講座と岩波講座…同前〕にそのような危機意識は見出されない
研究状況の停滞は、両講座の構成にも影を落としていないか。〔…〕隣接諸学からの寄稿が多い両講座は華やかである。しかしこれは、思想史学での中世研究が停滞しているため自給率が低下し、隣接諸学からの輸入に依存して成り立っているとも見得る*4

と問題提起したところ、同シンポジウムの報告者であった末木文美士から、

森氏は「中世思想史研究は活発か」という問題を提起し、それに否定的な見方を示している。氏は、「日本思想史」という領域を閉じた自立的な領域と見ているようだが、私はその見方には反対で、日本思想史はもともと複合的な分野であり、単一の学会ですべてを網羅できず、多分野の成果を総合的に見るべきと考える*5

という応答があった。

末木は長年、日本思想史学会の評議員を務めている。その末木が、日本思想史学会で中世研究が停滞しているという問題提起について、本学会ですべてを網羅できなくてもよいと応答したことに、筆者は呆然とした。譬えて言えば日本の国会議員が、日本は少子化かも知れないが世界全体としては少子化でないから問題ない、と主張したようなものとして、筆者には感じられた。末木の主張では、たとえ日本思想史学会大会で中世の個別発表がなくなっても、会誌『日本思想史学』に中世論文の投稿がなくなっても、極論すれば会員に中世研究者がいなくなっても、学会外部の学界全体で中世研究が活発であれば問題ないということになってしまおう。

日本中世思想史研究が他学会で活発であれば、日本思想史学会で活発でなくてよいのか。他学会でだけ活発である原因を省察すべきでないか。このような問題意識が末木には欠けているように見えてならない。

このような危機意識の欠如は何に由来しているのであろうか。筆者は、末木や日本思想史学会の会長も務めた佐藤弘夫が、黒田俊雄の顕密体制論により思想史学界の内外で中世研究が活発になったと廿年以上も主張してきたこと*6が大きいと考えている。

顕密体制論によって研究史が一変したという研究史理解の喧伝は、少なくとも三つの弊害を生じたと考えられる。第一に、同論により中世思想史研究が活発になったという誤解が、実状と乖離しながら定着してしまった。筆者は2013年刊行の拙著『摂関院政期思想史研究』(思文閣出版)では「同論〔顕密体制論…引用者註〕の提唱によってその後の研究が如何に一変したかは、必ずしも判然としない」(三二頁)と判断を留保していたが、翌年刊行の拙論では

従来、黒田俊雄が昭和五十年に顕密体制論を提唱したことで、それまで全く顧みられていなかった旧仏教の研究が勃興した、と語られることが多かった。しかし、このような通念は顕密体制論を過大評価したものだと考えられる。〔…〕顕密体制論への過大評価は、中世思想研究の減少や旧仏教研究の遅滞が隠蔽されるなどの弊害を生じた。同論によって研究が縦横無尽に展開したと高唱されれば、その恩恵に浴していない研究課題があるとは想像されず、不足を補おうとする問題意識も生じ難くなる。*7

と批判した。

しかし末木は、2016年に「この時代〔中世…引用者註〕の仏教思想に関しては、従来、いわゆる「鎌倉新仏教」を中心とする鎌倉新仏教中心史観が支配的であったが、1970年代の顕密体制論を転機に、大きく転換してきたことはすでに常識となっている」と述べ、この箇所への後註で「研究史として、森新之介『摂関院政期思想史研究』(思文閣出版、2013)第一章など」と記している*8。すなわち筆者の、顕密体制論によって研究史は一変していないという主張が、末木により、顕密体制論によって研究史は一変したという主張に援用されてしまっている。これは認知が歪んでいると言わざるを得ない*9

第二に、顕密体制論に依拠すれば他分野との交流が活発になるという誤解もまた生じ、広まった。しかし、歴史学界や国文学界における中世研究の盛況は理論よりも、文献を調査分析する技術や経験によるものである。また、それを促進した理論も顕密体制論でなく、黒田の寺社勢力論や伊藤正義の中世日本紀論であった。思想史学界は顕密体制論を過大評価をすることで、技術や経験を軽んじ、他分野での中世研究から孤立することになったと考えられる。

富島義幸は2009年に、

求められるのは、それぞれの学問分野の自立である。学問の自立とは、研究対象を限定的・独占的にあつかうことではなく、また自らの問題意識に固執することでもない。それは自立でなく、孤立を生む。だからといって、それぞれの分野で見出された事象を、既存の有力な理論に無批判に当てはめればよいわけではない。今、諸学で共有すべきは理論ではなく事象である。個別の事象を、新たに描かれる全体史の一部として、真筆に受け止めることが求められよう。*10

と提言していた。この提言はその後も顧みられていないように見えるが、筆者は大いに賛同する。例えば、筆者の「興福寺奏状」研究が諸学界横断の論争を惹起できたこと*11は、これが「興福寺奏状」という文書を対象としたものだったからだと自負している。

そして第三に、佐藤や末木など日本思想史学会の重鎮たちが中世研究の活況なるものを喧伝したため、同学会の若手研究者たちは中世研究の窮状を訴え難くなった。危険な現状の最大の原因は、現状の危険が広く認識されず、それを訴えることも憚られるという言路不通にあると考えられる。

第三項 中世は宗教の時代か

前項までは日本中世思想史学界の人口減少について整理した。本項と次項では、同学界のそれ以外の問題について指摘したい。

末木文美士は2012年、ぺりかん社版『日本思想史講座』の第二巻『中世』の「総論」で次のように述べていた。

中世像は時代とともにさまざまな転変を示してきた。そこには、新しい史料による情報の増加ということもあるとともに、時代の変化に伴う見る側の意識や理想が託されていることが知られるであろう。中世研究は決して単純な客観研究ではなく、むしろ中世と現代という隔絶した時代の間の緊張であり、対話である(一七頁)
蓑輪顕量「中世の仏教思想」は、中世思想のもっとも中核を形成する仏教を取り上げる。(二三頁)
近年の中世思想研究はきわめて進展が著しく、従来の常識はほぼ完全に転覆している。中世は黴臭い過去の遺物ではなく、生き生きとした思想がダイナミックに展開している時代である。近代が行き詰った今日、改めて中世を読み直すことは、喫緊の課題である(二五~六頁)

中世研究とは単純な客観研究でなく、中世と現代という隔絶した時代間の緊張であり、対話だ。近代が行き詰っている現在、改めて中世を読み直すことは喫緊の課題になっている。中世は黴臭い過去の遺物でなく、仏教は中世思想の中核を形成していた、という。

近代が行き詰った今日、改めて中世を読み直すというこの問題意識は、筆者には黴臭く感じられてならない。そのため、拙文「両講座における中世思想史研究の課題」では次のように述べた。

末木は、ぺりかん講座中世巻の「総論」で「近年の中世思想研究はきわめて進展が著しく、従来の常識はほぼ完全に転覆している」(二五~六頁)と述べた。しかし〔…〕同巻「総論」には、「中世思想のもっとも中核を形成する仏教」(二三頁)や「中世は武士の時代である」(二四頁)など、「従来の常識」を襲った表現も散見される。中世思想史で仏教や武士が重要であることは言うまでもないが、それらを中核や代表とするような通念は懐疑されるべきであろう(二五頁)
思想史研究を今日に役立たせるという問題意識は、研究の幅を狭めることにもなりかねない。世俗の時代である近代を克服すべきだという問題意識で中世を研究すれば、宗教の時代としての一面だけが切り取られてしまう。研究者の問題意識は他人に言われて変えるようなものでないであろうが、そういった危険にも注意すべきである。(二七頁)

末木は「近年の中世思想研究」において「従来の常識はほぼ完全に転覆している」と主張するが、従い難い。そう宣言するこの文章において、中世は仏教と武士の時代だという通念が温存されていると考えられるからである。

また、近代を克服すべきだという問題意識で中世を研究すれば、その宗教を過大評価することになる。藤巻和宏も2017年に次の如く批判している。

中世は宗教の時代――。これは、中世という時代を「わかりやすく」説明する際の常套句でもある。動乱の時代、人々は救いを宗教に求め、現世をはかなむ無常観が浸透する。また、貴族文化が衰退し、新たに武士や僧侶が文化の担い手となり、そこから幽玄という美意識が興る。――このような紋切り型の言い回しで、なんとなく中世という時代がわかったような気になるのである。しかし、これは本当に中世という時代を言い当てているのだろうか。むしろ、現代に生きる我々の「中世とはかくあるべし」という願望が投影されているだけではないだろうか*12

「中世は宗教の時代」という常套句は、中世について分かったような気にさせるが、実際には現代人の願望が投影されているだけでないか、という。

当シンポジウムの論評者となった船田淳一も2017年、説話文学会の大会シンポジウム「神仏の儀礼と宗教空間を担うもの――唱導・仏像・仮面――」にコメンテーターとして登壇し、拙文「両講座における中世思想史研究の課題」を取り上げつつこう論評したという。

中世儀礼研究が宗教に傾斜するのは、近代的な世俗化論に対して近代に回収されない中世を見出すという志向性に起因している。1980年代後半以降、殊に顕著となったポストモダン的状況下の知は、「宗教の時代としての中世」の価値を発見したのであり、三○年近く「中世ルネサンス」的な学界の空気が持続してきたと言えよう。
〔森の…引用者註〕こうした発言は、ここ三十年程続いてきた「中世ルネサンス」や「宗教儀礼研究」の成果が、審議される段階に至ったことを意味していると思われる〔…〕。中世宗教儀礼研究が、この辺りで役割を終え知のアリーナを去るのではなく、セカンドステージの扉を開くためには、いま改めて中世宗教儀礼研究の総括が行われなくてはならないのだと感じている。*13

世俗化した近代に回収されない中世を見出すという志向は、中世儀礼研究を宗教に傾斜させてきた。卅年ほど継続していた「中世ルネサンス」による中世宗教儀礼研究は、これまでの成果が審議されるべき段階にある、という。

これまでの中世思想史学界は宗教を過大評価し、世俗を過小評価してきたと考えられる。そのため、世俗やそれと宗教の関係などは今なお研究の余地が大きい。黒田や平雅行の顕密体制論も佐藤のコスモロジー論も、中世の国家宗教史や宗教史についての学説であり、漢学など非宗教の思想を顧慮していないと言ってよい。ただし漢学への低い関心は、顕密体制論やコスモロジー論だけの問題でない。国文学界をやや例外として、日本史や思想史など諸学界共通の問題でもある。

また、世俗思想の研究は開拓の余地が大きいというだけでなく、以前より後退しつつあるかも知れない。例えば、嘗て玉懸博之が鎌倉幕府の政治思想などについて研究を積み重ねていたが、今その欠を補っている思想史研究者は見出し難い。たとえ玉懸の研究とは逆の結論になろうとも、誰かがそれを積み重ねていくべきである*14

第四項 粗雑な社会評論

近年刊行されたぺりかん社版『日本思想史講座』と岩波書店版『岩波講座日本の思想』では、ともに未来志向の編集方針が打ち出されていた。

先の見えないこの危機と閉塞の時代に、この列島でなされてきた知の営みを集約し、未来への希望を託したささやかなメッセージとして国内外に発信したいというのが私たちの強い希望である。*15
本講座では、過去の思想と今日とが切り結ぶ問題を設定し、テーマごとにそれぞれの執筆者が論じる。思想の転変について精密に点検し、批判の篩にかけることで、新たな角度からの光をあてたいと考えたからである。思想の蓄積を貴重な財産とし、未来にむけた思想を創りだすことができるだろう。*16

本講座は未来への希望を託したささやかなメッセージとして国内外に発信するものであり、未来に向けた思想を創り出したい、と五人の編者たちは主張する。前項で引用したように、拙文「両講座における中世思想史研究の課題」でも、このような「思想史研究を今日に役立たせるという問題意識は、研究の幅を狭めることにもなりかねない」ということを指摘した。

しかも、両講座の編集委員を務めた末木と佐藤は、未来志向という問題意識を実践しているのであろうか、社会評論にも踏み出している。末木は2011年、『中外日報』四月廿六日号で、 東日本大震災を「天罰」として受け止め、謙虚に反省しなければいけないと主張した。これが高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社、2012)などで批判されると、末木は『現代仏教論』(新潮社、2012)などで反論するとともに、天罰論を再論した。

そして末木は、2015年に『草木成仏の思想――安然と日本人の自然観――』(サンガ)で斯く述べた。

自然の奥の「冥」なるものへの畏れを取り戻すことの必要を説く私に対して、自然はあくまで自然として科学の問題であり、それを超えた力を認めるのはおかしいという批判ばかりが集中した。これはきわめて奇怪であるとともに、危険なことである。そのような思いから、拙著〔『現代仏教論』…引用者註〕を出版した。世間はもはや震災のことなど関心をなくしてしまったようで、拙著へもどこからも批判が出なかった。原発問題を除けば、震災はもう過去のこととされてしまったようだ。「絆」というような口当りのよい言葉だけが闊歩し、本質に触れる問題を避け、言葉を統制し、それどころか言葉狩りが横行し、被災地はできるだけそっと閉じ込めて語らないようにして、早く忘れようというのが、今日の日本の社会のやり方らしい。それは、戦争期に日本軍の大勝利ばかりが喧伝され、それへの危倶を表明することが許されなかった時代に似ている。「日本を取り戻す」「強い日本を作る」という幻想が嘘であることをみんなが知りながら、それを口にすると圧殺される。そんな時代がよい時代であるわけがない。戦争と自然破壊へ向けて、一直線に進んでいるようだ。〔…〕預言者の言葉は世に容れられることはないが、言うべきことは言わなければならない(一六七~八頁)

日本人は、自然の奥にある「冥」なるものへの畏れを取り戻すべきだ。そう訴える自説に批判が集中したことは奇怪であり、危険でもある。次著『現代仏教論』が批判されなかったのは、震災がすでに過去のこととされてしまっているからだろう。今日の日本社会は戦争と自然破壊へ驀進しており、預言者は世に容れられなくても言うべきことを言わなければならない、という。

自然の強さ大きさを畏れ、人間の弱さ小ささを忘れるな、という末木の主張は筆者にも理解できる。しかし、その主張に「冥」「天罰」などの語を用いることは理解できない。末木の天罰論は不健全なものに見えてならないが、筆者の知る限り、日本思想史研究者からの批判は一つも公表されなかった。筆者は末木の天罰論が撲滅されるべきだと考えていないが、全く批判せず黙認してきた日本思想史学界はより不健全であったろう。

佐藤も2018年、『「神国」日本――記紀から中世、そしてナショナリズムへ――』(講談社、初刊2006)の「文庫版刊行にあたって」(書き下ろし)で、次のように述べた。

科学技術の暴走に加えて、近代社会が生み出したもう一つの産物が、排他的なウルトラ・ナショナリズムやヘイトスピーチにみられるような「心の劣化」ともいうべき現象である。文明化の成熟は人間の理性の全面的な開花をもたらすものと考えられ、高いモラルを土台とする理想社会の誕生を予感させた。だが、現実がその方向に進むことはなかった。現在、日本と韓国・中国の間では、それぞれの境界に位置する小島の領有をめぐって激しい応酬が繰り広げられている。近代に入る前の時代では、経済的価値のない無人島を「固有の領土」とした上で、その所有の正当性が主張されることはなかった。まして、為政者だけでなく国民を巻き込んだ激しい誹誇中傷合戦は皆無だった。いまわたしたちは、みずからが生み出した巨大にして醜悪な暗黒面の深淵を目の当たりにして、なすすべもなく呆然と佇んでいるのである。(二〇五~六頁)
人文科学の究極の目的は、人間というこの不可解な存在の本質を解き明かすところにある。哲学・歴史学・文学といった学問分野は、いずれもこの課題に解答を提示することを最終的な目的としていたはずである。しかし、学問の本来の目標は忘れられ、個々の学問分野の維持そのものが目的化しているのが学界の現状である。こうした状況に対する問題意識が、人文学の存在意義を問う声の背景にはある。21世紀に生きるわたしたちは、かつて近代の草創期に思想家たちが思い描いたような、直線的な進化の果てに生み出された理想社会にいるのではない。近代化は人類にかつてない物質的な繁栄をもたらす一方で、人間の心に、昔の人が想像もしえなかったような無機質な領域を創り出した。いま世界中で問題になっているウルトラ・ナショナリズムや民族差別もそこから生まれた。原子力発電所の事故や環境汚染も、根本的な要因は人間の心の劣化にあると私は考えている(二二二頁)

人文学の究極の目的は、人間という存在の本質の解明にある。そして、人の心は劣化しており、ウルトラ・ナショナリズムや民族差別、原子力発電所の事故や環境汚染の原因にもなっている、という。

だが、人の心が低劣でない時期は未だ嘗て存在していないのでないか。「人間の心の劣化」という理解そのものが、思想史研究者として注意を喚起すべき、一つの歴史観でしかないのでないか。佐藤の文章は、かえって人文学の存在意義を反証しているのでないか。

近現代思想史の研究者であればともかく、中世思想史の研究者にとって、現代社会を評論するなどということは研究者の本分でない。また、社会もそのような評論を中世思想史の研究者に期待していないように見える。中世思想史研究者による社会評論がもし妥当で蒙を啓くようなものであれば、需要を掘り起こして、中世思想史研究の新たな意義を知らしめることにもなるであろう。しかし、もし荒唐無稽なものであれば、中世思想史研究の意義を疑わせることにもなり得る*16

率直に言って、筆者には末木や佐藤の社会評論は粗雑で黴臭いものに見えてならない。これが若い世代に日本中世思想史研究を嫌厭させ、一般読者や納税者から人文科学への支持を失わせる原因になり得ることにも注意すべきである。

結語と提言

以上、本報告では日本中世思想史学界の危険な現状について整理し、問題提起した。

この学界は、顕密体制論により思想史学界の内外で中世研究が活発になったという神話から脱却し、日本中世思想史研究が現在危険な状況にあるという危機意識を共有すべきであろう。理想としては日本思想史や日本中世思想史の通史が叙述されるべきであるが、現状ではそれどころでない。

思想史研究者は、日本史や国文学に学び、取り入れるべきものを取り入れるべきであるが、他学界に盲従すべきでない。すでに研究し尽くされたと思われている対象にも研究の余地はある。筆者の末法思想研究や『愚管抄』研究などは、そのような実例と言ってよいであろう。

日本中世が宗教の時代であり、そのため日本中世思想史研究もまた日本中世宗教史研究であるべきだ、という通念は修正されるべきであろう。漢学など世俗思想の研究は開拓や拡充が必要であり、世俗思想と宗教思想の研究も融合されるべきである。

そして、思想史研究者による粗雑な社会評論は逆効果にもなる。他の思想史研究者は適宜それを批判すべきであろう。

  1. なお、筆者は「中世」などの時代区分は好ましくないと考えているが、本報告では便宜のため用いることとした。
  2. 筆者は日本思想史学会について、2011年五月、ある若手日本中世史研究者から「あそこは日本近代思想史学会でしょ」 と言われ、また2015年八月、ある中堅中世国文学研究者から「たまに必要な論文が会誌に載ったらそこを複写すればよいだけ」と言われたことがある。なお、この二人はその後も同学会に加入していない。
  3. ただし、近年刊行の両講座は日本思想史学界においてもさほど波及しなかった。両講座の編集委員の一人であった末木文美士も、「残念なことに、今回の岩波講座もまた、あまり大きな話題とならないままに日が過ぎている」と述べている(「思想史の構想」、『岩波講座日本歴史月報』一二、2014、一~二頁)。
  4. 拙稿「両講座における中世思想史研究の課題」、『日本思想史学』四八、2016、二五~六頁。
  5. 末木文美士「第四八号特集コメント記事への応答」、『日本思想史学』四九、2017、五二頁。
  6. 拙稿「拙著『摂関院政期思想史研究』翼増三章――再び平雅行「破綻論」などに答う――」(『論叢アジアの文化と思想』二三、2014、第三章「研究史における顕密体制論」)参照。なお、首唱者は平雅行だが、同学会の会員でないためここでは除外する。
  7. 拙稿「拙著『摂関院政期思想史研究』翼増三章」(前掲)、五一九~二〇頁。
  8. 末木文美士「思想/思想史/思想史学――二つの日本思想史講座と日本思想史の問い方――」、『日本思想史学』四八、2016、一六頁、後註二。
  9. なお筆者は、拙稿「拙著『摂関院政期思想史研究』翼増三章」(前掲)の刊行直後に抜き刷りを末木に郵送しており、この「思想/思想史/思想史学」(前掲)の刊行直後、末木に電子メールを送って誤解を指摘した。
  10. 富島義幸「浄土教と密教――平安仏教の理解をめぐって――」、『日本歴史』七二八、2009、六四頁。
  11. 最新の成果としては、拙稿「読『鎌倉仏教と専修念仏』――五たび平雅行に答う――」(『早稲田大学高等研究所紀要』一一、2019)参照。
  12. 藤巻和宏「古典教育と宗教思想――中世は「宗教の時代」なのか?――」、松尾葦江編『ともに読む古典――中世文学編――』、笠間書院、2017、二四九~五〇頁。
  13. 船田淳一「中世宗教儀礼研究の現在」、『説話文学研究』五三、2018、三〇、三二頁。
  14. 筆者は2017年、ある企画から依頼された「鎌倉幕府の政治思想」の執筆過程でこの思いを強くした。
  15. 苅部直・黒住真・佐藤弘夫・末木文美士・田尻祐一郎「刊行にあたって」、同編『古代』(『日本思想史講座』一)、ぺりかん社、2012、三頁。
  16. 苅部直・黒住真・佐藤弘夫・末木文美士「編集にあたって」、同編『「日本」と日本思想』(『岩波講座日本の思想』一)、岩波書店、2013、ⅴ頁。
  17. なお筆者は、自分もまた2012年に「摂関院政期と「民衆仏教史観」」(『鴨東通信』八八)で現代社会を評論したことを忘れていない。
草稿