開催記録草稿(未定稿、禁引用)
論評「日本中世思想史の「明日」のために」

舩田 淳一(思想史)

0. 小稿について

小稿は、シンポジウム「日本中世思想史研究に明日はあるか」において論評者を勤めた稿者が、上記と同タイトルで当日配布したレジュメを改めて文章化したものである。レジュメは全体討論の呼び水となるべく、三名のパネラーの報告に対し、個別に所感をコメントしたに留まり、総括的なコメントには及んでいない。ただし今回文章化するに際しては、三名の報告から積極的に何をどう受け取るべきかを、意識化するよう心掛けた。

1. 森新之介氏の報告を受けて

最近の日本思想史学会(特に古代・中世部会)の危機状況は、稿者も強く共有するものである。ただし中世思想史研究総体が停滞し、そのプレゼンスは凋落しているのだろうか。仏教学を専門とする末木文美士氏は中世思想史を活発であると見ている*1。日本思想史学会ではなく、中世文学研究者の阿部泰郎氏*2らが牽引している中世思想研究の動向などを見れば、確かにそう言える。特に中世宗教思想の領域では、従来的な禅宗イメージが大きく修正されつつあり誠に注目すべきものがある*3。この研究は学際的に展開しており、「思想史学」とか「日本思想史学会」といった個別の範疇に回収できない。よって「中世思想史学が低調でも、中世(宗教)思想研究は盛況」という状況は観測し得るのである。換言すれば「狭義の思想史=低調/広義の思想史=盛況」*4となろうか。

森氏は自覚的に「狭義の中世思想史」*5に立脚して発言しており、末木氏は「広義の思想史」の側から発言していると、ひとまず受け取ることができよう。つまり認識のズレは畢竟、〈思想史〉なるものの方法と領域の捉えどころのなさに基づく、〈思想史〉の二重性ともいうべきものに起因するのであり、いずれの言い分も成り立つ。なお論評者たる舩田がこれまでの拙稿で扱ってきた、中世の宗教儀礼・密教思想・神道思想といった対象は、領域横断的な「広義の中世思想史」において進展してきたものである。

鎌倉新仏教思想(家)の研究は「狭義の中世思想史」において花形だったと言える。かつてに比すればそうした研究は極端な減少傾向にある。しかしそれは近代的偏向の是正(近代的宗教観の克服)とも評し得る。近代的偏向へのアンチとして中世の宗教儀礼・密教思想・神道思想などが再評価されてきたのだ。近代的価値観の強く現れた鎌倉新仏教が中心をなす、そうした形の「狭義の中世思想史」が停滞・凋落したことは、近代主義的ナラティブの解体という大きな学問的動向に随伴する現象である。故にそれに反比例して、ポストモダンの潮流とも連動しつつ、中世の宗教儀礼・密教思想・神道思想などの研究が、「広義の中世思想史」において一種の批評的行為として浮上してきたと見ることができる。これがこの30年余りの研究動向であり、中世思想史が、鎌倉新仏教研究とは異なる視座からする宗教思想研究へと傾斜した最大の理由である。森氏のレジュメにもあるように「近代の相対化」というスローガンは、問題意識を狭めることともなっただろうが、ここ30年に亘る「広義の中世思想史」の研究を特色付ける中世宗教思想研究は、モダン→ポストモダンという時代的な必然性に根差した一過程でもあった。かかる研究史を正当に把握しておくことは必要である。

しかし自戒を込めて言うのだが、「近代の相対化」という問題設定は、そろそろ賞味期限切れではあるまいか。世俗の時代としての近代を相対化するためには宗教に注目すれば良い、というのは単純な理屈ではあるが、一面の事実を衝いており、神秘主義的色彩の強い宗教研究が流行した。それがそのまま「近代の相対化」を学的に実践することと同値された訳だが、稿者は次のフェーズに移行すべき時に差し掛かっているという感覚を懐く。「近代の相対化」モードでは、もはやアクチュアリティが担保され難いのである。

そして「宗教」偏重の中世思想史を転回せしめるためには、昔ながらの世俗化論(宗教の衰退=近代化といった思考)とは異なるものとして、「世俗」への視座を方法論的に新たに基礎づける必要があろう。単純に神秘的宗教研究ブームの前に等閑視されていた「世俗」という問題系を取り戻せと唱えるだけでは、その真意が充分に伝わらず研究上の「反動」であると誤解されはしまいか。それだけに、このことは今後の中世思想史研究の方向性を問う上で重要な問題なのだと考える。そして「世俗」への注目は、「宗教の時代としての(神秘的)中世」を、宛も後続の時代から切り離すかのようにして、特権化してきた従来型の研究と異なり、近世―近代への射程を新たな形で回復するものとなるべきではないか。さすれば、そこに中世思想史研究の「明日」も見いだせよう。

2. 大塚紀弘氏の報告受けて

大塚氏は歴史学の立場から、同じ歴史学における中世宗教史の研究方法である顕密体制論の問題点を、多面的に批判する。稿者も同感できる点があり、顕密体制論は中世における宗教の社会的全体性を強調し、そのイデオロギー支配の在り方の分析を深めることで、宗教を個人の内面の問題として捉える近代的宗教観の相対化に一定程度は成功したと言えるが、密教の意義を重視しつつも、それを鎮魂・呪術と捉える発想・価値基準は「近代」そのものであって、対極として呪術を克服した近代的親鸞像を対置する結果となっていると考える。中世密教の本質を鎮魂・呪術と評している限り、多分その先は無いだろう。なお中世密教思想の先鋭性を余すところなく開示してみせた最新の成果は、小川豊生氏の大著『日本中世の神話・文字・身体』(森話社、2013年)である。

顕密体制論の影響下にある佐藤弘夫氏のコスモロジー論についても、大塚氏は批判している。稿者には佐藤氏の議論は「広義の中世思想史」によって凋落した鎌倉新仏教論を再定位するための、「狭義の中世思想史」側からのリアクションでもあるものと読めた。そこには思想史家たる佐藤氏の拘りが窺え、そのことは「法然・日蓮の思想の異端性、革新性に喝采することを目的に・・・虚構のコスモロジーを提示している」(大塚氏の配布レジュメによる)と、大塚氏の目に映る原因の一端となる。根本的な次元で、やはり近代的な枠組みの影響が看取されるのだろう。

大塚氏の展開された議論では、「理念」と「規範」という用語が鍵となるが、その区別や関係性が聊か判然としない印象があった。「理念」とは、顕密体制論やコスモロジー論の如き実態との齟齬が大きく虚構でさえあるものを指しており、大塚氏はそうした「理念」的な神仏宗教思想史に代わって、新たな研究課題として「社会規範の思想史」を提起した。だが理念・規範ともに実態とはズレがあるとされ、虚構の歴史を描く恐れがあると指摘する一方で、理念と規範はともに実態を規定するなど積極的な作用もあるとしている。この辺りが整理されるならば、今後の中世思想史に取って大きな示唆を与えるものとなるはずである。

「思想史学」とは本来的に歴史学に属する研究領域であるから、哲学・宗教学・仏教学といった「思想学」との根本的相違を「思想史」研究者は意識すべきであり*6「理念」に安住するな、と大塚氏は語り掛ける。個人的には歴史学の下位分野であるのは「思想史」であり、「思想史」と言った場合、歴史学の理論・方法に回収されない自律的かつ固有の学問領域を指して用いるのが良いかとは思うが、それは単に用語の問題でもあるので、今は脇に置いても良い。ともあれ上記の「規範」は、「理念」と「(歴史上の)実態」とを架橋する概念であると定位できよう。実のところ稿者も多分に「理念」偏重の傾向を有する研究者である。稿者が「社会規範の思想史」研究を自らに課すか否かは、まだ何とも言えないが、少なくとも歴史・実態、そして更に実証(以下の野上氏の議論に繋がる)という問題系と「理念」との間に存する、構造的な緊張関係を充分に意識してゆく必要を感じた。

3. 野上潤一氏の報告を受けて

上野氏の報告のサブタイトルには「思想史研究と文学研究のあいだ」とあり、また配布されたレジュメの本文に「学問史研究は、歴史研究と言説研究を架橋し・・・」とある。稿者は、野上氏の言う学問史とは、思想史と文学を繋ぐツールになるものとして、その可能性を捉えた。

野上氏は、「あらゆる学問を中世学問史研究という秩序に帰属させることが必要であろう」とも述べていることからすれば、中世の諸宗学僧による仏典や宗祖著述聖教に対する注釈などの学的営為は全て学問史の対象とできよう。中世前期を中心とする稿者の問題関心に引き付けることとなるが、密教系の僧侶が重要な役割を果たした日本紀注釈に基づく中世神道論の展開や、高野山の代表的学僧たる道範の作成した中世真言教学を特色づける思想テクスト群、更には叡山天台の記家・戒家といた学僧グループの活動と、その所産として著名な大著『渓嵐拾葉集』など、これまで「近代の相対化」という名目のもとに過度に神秘性が強調されて来たきらいのある中世密教思想の言説世界を、新たに儒学・歌学、その他の世俗学問と同じ地平に置いて、学問史という枠組み(秩序)の下に位置づけ直して分析するという方向性も、ここからは見出される*7。中世宗教思想史は学問史の一部となり得るし、この学問史的秩序によって中世思想史を、宗教に偏重しない公平で射程の広いものへと、世俗への単純な揺り戻しではない形で組み直すことも可能ではないかと思われた*8

野上氏は既存の中世思想史研究に対して、最もラディカルは批判を投げかけており、我々はこれを決して無視することなく、受け止めて行かなくてはならない。それは思想史における「実証性」という問題である。思想史研究において、実証的手続きが希薄になることは夙に指摘・批判されてきた。実態との乖離の危険を意識すること、「理念」に安住することを誡める大塚氏にも同様の思いがあるだろう。そしてかつては、「思想史は安易な感想文である」というような評言もなされた(現在はどうであろうか)。森氏が発表する思想史論文からは、始めに方法論ありきではなく、テクストの表現や言説に沿って実直に読み解く姿勢に徹している印象を受ける。それは氏が思想史における実証性を強く意識しているからに相違ない。

野上氏は、今回の議論の中で学問史の理想として、研究が実証に始まり、また実証へと戻ってくるサイクルを提示している。よって思想史がこの実証ということを忽せにしたままでは、先述した如き学問史と有意義な関係性は構築し得ない。とは言え思想史が安易な感想文であることに対して、実証主義は無思想(無性格/方法論への無自覚)ではないかとする反駁も、かつて耳にした所のものである。稿者は「思想史における実証とは何か」という形で、野上氏の批判を、まずは受け止めて行きたい*9

  1. 「思想/思想史/思想史学」(『日本思想史学』48号、2016年)。
  2. もちろん末木氏や阿部氏は、仏教学とか文学研究といった既成の枠に収まるような研究者ではない。
  3. 阿部氏・末木氏らによる「中世禅籍叢刊」(臨川書店)の成果。
  4. 狭義・広義という分類は、かつて家永三郎氏も「思想史学の立場」(『歴史科学大系19巻 思想史(前近代)』校倉書房、1979年/初出は1949年)で使用している。家永氏は思想史(学)を歴史学内の分野史と位置づけ、そうした限定的な思想史を狭義の思想史とする。これに対して広義の思想史は聊か抽象的だが「史学の他の諸分科と同列のものではなく、あらゆる歴史的領域にわたりその意識面を対象とするもの」(315頁)と定義している。要するに全体史としての思想史ということになろう。稿者は思想史を歴史学の一分野とはしておらず、思想史をそれ自体として自律的で単一的な固有領域と見るか、それとも歴史学や文学や仏教学などとの複合的領域として見るか、ということを基準に思想史の広・狭を暫定的に使用している。拙稿「中世宗教思想史の現在―「対話」にむけた研究史読解の一過程―」(『季刊日本思想史』2018度中に刊行の予定)でも思想史の広・狭を論じた。
  5. むろんここで暫定的に「狭義の中世思想史」といってみても、それが何を指すかは、それほど明瞭ではなく、日本思想史学会中世部会で行われる報告がそれだ、などと言うこともできない。
  6. 丸山真男が「思想史」と「思想論」の弁別を語ったことが想起される。「思想史の考え方について」(『忠誠と反逆』筑摩書房、1992年)参照。
  7. (神秘的)宗教思想を重視すれば、それで近代的なるものを相対化できるというのは、一種のステロタイプであり、今後そうした発想は、ますます通じ難くなるのであろう。
  8. シンポジウム当日は、野上氏の「あらゆる学問を中世学問史研究という秩序に帰属させることが必要であろう。」という発言を、稿者は誤解してしまい、思想史にとっての中世学問史の意義めぐる議論を、全体討論の場で有意義に展開させるための導入役を充分に果たすことができなかった。今回、この部分は新たに書き加えたものである。
  9. これは歴史における客観性(と主観性)という根本的問題に繋がる。歴史の詩学・メタヒストリー・言語論的転回の以降にあっては、もはや素朴な客観主義は成立しえない。
草稿